イベント情報Event information
多くの人々に支えられて行う
地域の伝統「焼畑」
ユネスコエコパークに
登録されている井川
2014年6月にユネスコエコパーク登録された、南アルプス。南アルプスを擁する地域では、『高い山、深い谷が育む生物と文化の多様性』という理念のもと、地域の自然や文化を後世に残していこうと活動をしている。本サイトでも、南アルプスの自然を体験するイベントを中心に静岡市葵区井川地域の魅力を取材してきた。今回は、井川地域の伝統文化である「焼畑」にスポットを当て紹介する。
地域の文化としての焼畑
焼畑は、日本の伝統的な農法であり、かつては全国各地で行われていた。井川地域では、古くは江戸時代に焼畑が行われた記録も残っているとのことだった。
今回は、井川の小河内地区で行われる焼畑を取材した。小河内の集落から20分ほど山道を登った山の斜面が、焼畑の行われる場所であった。この場所は、50−60年程前にも焼畑が行われたという話もあった。
従来の焼畑とは、木の伐採から始まり、火入れや種まき、複数年の輪作の後、最終的には20−30年の休閑期間を経て、自然を再生させるまでが一つのサイクルだそうだ。井川の焼畑は、輪作までのサイクルは同じだが、その後、地元の人達で焼畑をした場所に植樹をする。近年、若木や新芽が獣害の影響を受けてしまっていることが起因するようだ。
今回もまずは、事前準備として、焼畑をする場所の木を伐採。その後、広葉樹の幹や枝、落ち葉などを中心に集めた何段ものヤボを山の斜面に沿って作っていく。ヤボとは、火入れのために樹木や枯れ葉を集めて集積した横一列に積みあげた塊のこと。歩くだけでも大変な急斜面に、伐採した広葉樹の幹や枝、木々の落ち葉を重ねる作業は一苦労だった様子。多くの人たちの協力を得ながら、何日もかけて準備をし、火入れ当日を迎えた。
昨年は、今回の場所よりもう少し上部で焼畑を行い、蕎麦の種を蒔いたとのこと。蕎麦が育っていた。
早朝5時からスタート
火入れをする当日の朝は早く、まだ夜が明けていない午前4時に小河内の集落に集合し、焼畑の場所へ向かった。比較的風の影響が少ない早朝から火入れをする。変わりやすい山の天候などにより、山火事など非常に危険な事象が発生する可能性もあるため、天候や風向きに細心の注意を払って火入れをする必要がある。
火入れをする前に安全祈願などを込めて、今回の焼畑の主宰である望月正人さんにより祝詞(のりと)が唱えられた。祝詞の中に、虫などが焼畑の影響を受けないように逃げるような詞もあり、自然への気遣いが感じられた。祝詞が終わったあと、早速火入れをするための準備をする。
山の斜面の上部から火入れを開始。斜面の下から火入れをすると、斜面に沿って火が延焼する危険があるため、斜面上部から火をつけていくとのこと。数日前からの晴天で土が乾いているためか、火は瞬く間に広がっていく。20分余りで1ヤボが炭となった。火の延焼を防ぐための安全帯が設けられているが、そこに立っているだけでも燃え盛る炎の熱さが伝わってくる。時折吹く風とともに竜巻きが起こり、炭化した燃えカスが渦を巻いていた。
経験者を中心に、細心の注意を払いながら、斜面の上から下まで6ヤボに順々に火入れを続けて行く。
ヤボに火入れをして1時間余りで、積み上げられていた木々や落ち葉が灰になっていく。ところどころに残っている、まだ完全に灰になっていない炭を、火入れしていないヤボの下部に広げながら、ヤボとヤボの間にも火入れをしていく。
ヤボ間の炭を広げた部分の表面が時間経過とともに白い灰となり、地面を覆っていく。この灰が焼畑を行った土地の肥料となり、作物の育成に必須な成分になるとのことだ。
火入れの後の一休み
火入れが終わったら、しばしの休憩。朝5時から火入れを行い、一休みできたのは午前7時過ぎ。早朝から休憩まで参加者は、炭や土埃で顔を真っ黒にしながら2時間余り焼畑を体験した。今回の参加者は、80名余り。新型コロナウィルスの影響もあり、一般参加のPRは大々的にしていないとのことだが、これまでの焼畑に参加してくれた仲間を中心に募集をかけたところ、全国各地から80名がこの井川に集まったそうだ。井川や近隣地域の人々、全国の蕎麦関連の関係者、焼畑の研究者や学生などさまざま。焼畑を何度も経験した参加者もいれば、今回が初めてという参加者もいた。焼畑の経験有無に関わらず、ヤボに火をつけたり、燃えやすいように落ち葉を追加したり、ヤボを崩し焼けた炭を広げたり、それぞれ自分ができることを手伝っていた。
休憩では、参加者への感謝を込めて、粟が入ったおにぎりや地場の野菜の漬物、鹿肉など、地場の食材が使われた朝食が振る舞われた。参加者達は、しばしの休憩と井川の味で疲れた体を回復させていた。
種まきをして焼畑を終える
火入れをしてから朝食休憩をとり、4時間余りが経過した。火入れをした山の斜面一帯が、白い灰で覆われる。朝食で一息ついた参加者は、燃え切った灰を土と混ぜる作業に。それぞれ鍬や鋤を持ち、火入れした時と同様に、斜面上部から土を耕していく。火入れ後なので「地面がかなり熱を持っているのでは」と思い、地面に触れてみると人肌ほどの温度しかなかった。火入れで地表は燃えていたが、土を耕す作業で、地中の土と表面の土が合わさり人肌程度の温度となっていた。
斜面を耕したあと、種まきへ。火入れ直後に、種まきをして種に影響がないのかと心配だったが、火入れをした直後に土を耕すことで温度が緩和されるため、このタイミングで種をまくと種の発育も良いと、昔からの知恵で伝えられてきたとのことであった。
今回は、赤カブと在来そばのたねを撒く。そばは、井川在来の種を地元の方から分けてもらったとのこと。井川の在来そばの種の特徴は、全体的に粒が小さく赤みを帯びている種が多いそうだ。
火入れ後の上段の2段は赤カブを、それ以外はそばを撒く。そばは、この後70日余りで収穫ができるとのこと。どのくらいの量のそばが収穫できるのか、非常に楽しみだ。収穫されたそばは、静岡市内の蕎麦屋などでも提供される予定という。種まきが終わるとこの日の作業は終了。
後日行う、電柵(獣害を避けるため)の設置、山の斜面の草取り、作物の収穫までが焼畑の一つのサイクルとのこと。収穫まではまだ作業が続くようだ。
多くの人が参加して
伝統を守っていく
火入れ後に落葉を追加したり、地面を耕す作業を一生懸命されている女性参加者に話を聞いた。女性は、長野県伊那市から参加しており、焼畑やそばの種まきなどを観光体験としてイベントができないか、検討をしているため参加したとのことであった。
人口の都市集中や地方の過疎化が進む中で、地域の伝統を維持していくことが難しくなっている。焼畑も地域を超えて、日本全国に人的ネットワークを形成しながら、火入れのバトンを若い世代に繋ぐ動きがあったり、焼畑の全国的な会合なども開催されたりしているとのことであった。井川地域に限らず、全国各地の焼畑継承地の繋がりにより、焼畑の伝統を後世に継承しようという動きがあるようだ。
今回の焼畑は、静岡市葵区井川の小河内地区の望月正人さんが主宰となり、結の会のメンバーがメインに計画・準備、当日の運営をしてきた。彼らの強い思いや地域を想う心があって、井川地域の焼畑が実現され継承されている。焼畑や在来作物など昔から継承されている井川の文化が、これからも望月さんや結の会のメンバーの皆さんの力で未来に受け継がれていくだろう。
※この情報は、2022年7月のものです。
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